日本霊長類学会

追悼文:西邨顕達会員

 西邨顕達会員が平成30年12月23日に80歳でご逝去されました。
 京都大学農学部在学中に登山を通じて今西錦司氏より強い影響を受け、京都大学人類進化論の最初の院生として1962年〜1963年にタンガニーカ湖畔のカボゴ基地にて野生チンパンジーのヒト付けに従事されました。チンパンジーのヒト付は困難を極め、うまくいきませんでしたが、野生チンパンジーの生態や社会構造について、初期の貴重な研究を行い、その後、多くの後輩たちに引き継がれました。同志社大学に異動されてからは、調査地を南米に移し、伊沢紘生氏らと共に南米各地で調査を展開されました。1977年〜1980年にブラジルのFazenda Montes Clarosで行なったムリキのパイオニア的研究は、ムリキを稀少な霊長類として初めて世界に認識させ、その後Karen Strier女史に引き継がれました。1973年から2002年までコロンビア・マカレナで行なわれたウーリーモンキーの研究では、1群について12年間、のべ4500時間以上もの観察から、本種が霊長類では珍しい父系的社会を形成することを発見し、メスの繁殖にかかわる様々な特性を明らかにされました。1998年から2002年には、ウーリモンキーと同所的に生息するクモザルの生態学的研究を学生とともに開始し、研究だけでなく若い研究者の指導、教育にも尽力されました。2004年に同志社大学を定年退職されてからは、地元の京都市鞍馬から市原,岩倉,上賀茂近郊に生息し、猿害が深刻化していたニホンザルK群の調査を行い、2007年にK群が全頭捕獲されるまで、年間365日、毎日K群を観察されました。猿害被害で悩む住民の被害軽減のため、毎日のサルの移動ルートをホームページで公開するなど、地域の猿害対策にも多大なる貢献をされました。
 1961年に京都大学農学部卒業し、1988年に京都大学大学院理学研究科博士後期課程を修了。京都大学霊長類研究所助手(1979-1977)、同志社大学工学部助教授(1977-1989)を経て同大学工学部・工学研究科・理工学研究所教授(1998-2004)を歴任されました。本名の“あきさと”ではなく、訓読みの “けんたつ”さんの愛称で親しまれ、京都大学理学研究科人類学研究室、アジアアフリカ研究センターの教員・学生の毎春の恒例行事である山菜取りは、鞍馬にあるけんたつさんの山小屋を拠点に行われ、集めた山菜を皆で調理して楽しみました。コロンビア共和国のLos Andes大学、Javeriana大学等の学生からは、”Nishi”の愛称で親しまれると同時に、大勢の学生の研究指導にも従事されました。気さくで付き合いやすく、おおらかで人当たりのよい性格は、国内外、世代、立場を超えて多くの学生、研究者仲間から愛されました。
 ここに先生の生前の多大なご功績に深謝し、心より哀悼の意を表します。

松田一希・下岡ゆき子


■ 学歴等

1938(昭和13)9月10日:栃木県宇都宮市で出生
1945(昭和20)2月:大阪より鞍馬に移る (以後1968年までここの住民)
1951(昭和26)3月:京都市立鞍馬小学校卒業
1954(昭和29)3月:京都市立洛北中学校卒業
1957(昭和32)3月:京都府立洛北高等学校卒業
1961(昭和36)3月:京都大学農学部水産学科卒業
1962(昭和37)4月:京都大学大学院・理学研究科・動物学専攻入学
1988(昭和63)3月:博士学位 (理学/京都大学) 取得

■ 職歴

1970~1977年:京都大学霊長類研究所 助手
1977~1989年:同志社大学工学部 助教授
1989~1998年:同志社大学工学部・理工学研究所 教授
1998~2004年:同志社大学工学部・工学研究科・理工学研究所 教授
2004~2009年:同志社大学 嘱託講師

■ ニホンザルの野外調査

1964~1979年:大分県高崎山
1998~2000年:京都府宇治田原町
2001~2004年:京都市右京区および亀岡市
2004~2007年:京都市鞍馬,市原,岩倉,上賀茂

■ 外国での野外調査

1962~1963年:チンパンジー(アフリカ,タンザニア)
1973~2002年:ウーリーモンキー(南米,コロンビア)
1977~1980年:ムリキ(南米,ブラジル)
1998~2002年:クモザル(南米,コロンビア)
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